2009年に川本喜八郎先生の手ほどきで来飯したロシアのアニメーション監督ユーリ・ノルシュテインさん(以下、川本先生に倣い「ユーラさん」と呼ばせていただく)がこれまでに発表した作品は、10本に満たないが、いずれも心に沁みる名作である。中でも「話の話」(1979)は、1984年国際アニメーション映画協会等が実施したアンケートで「あらゆる民族、あらゆる時代の最上のアニメーション」として認められた。1941年生まれのユーラさんは、30代で世界のアニメーション界の最上位に立つ作品を創り上げたことになる。
その後1980年から製作し始めたニコライ・ゴーゴリ原作「外套」は、40年経った現在も完成していない。NHKの特集番組で紹介された同作のほんの一部を見ただけでも、想像を絶するまでの観察力と描写力で創作されており、前人未到の領域に踏み込もうとしている様だ。
川本先生とユーラさんとの接点と言えば、「連句アニメーション『冬の日』」(2003)である。連句というのは、何人かで前句と後句を交互に連ね一つの作品を作り上げていくもの。つまり、ある人が五七五・七七の句を作ると、次の人は、前の人の七七をそのまま残して、そこから情景を想像しつつ、次の五七五を創作し、七七・五七五の句を完成させる。その次の人は前の人の五七五を受け継いで七七を創作する、という具合に句を繋いでいく形式である。
連句アニメーション「冬の日」 ユーリ・ノルシュテイン作「発句」より ©有限会社川本プロダクション |
「冬の日」は1684年11月、松尾芭蕉が「野ざらし紀行」の旅行中、名古屋に立ち寄り、尾張の5人の連衆によって興行された歌仙である。歌仙というのは36句で構成される。「連句アニメーション『冬の日』」は、川本先生が企画・監修を行い、芭蕉の「冬の日」を題材として35人の国内外アニメーション作家が製作した。連句をアニメーションにすると、各作者のイメージが連鎖して一つの作品が成立するという発想である。
なぜ36人でなく35人なのか、先生は私に教えてくれた。「フレデリック・バックさんにお願いしたら、仕事を抱えていてできないとおっしゃるんですね。それでも僕はどうしてもバックさんにやってもらいたいんで、仕事が空(す)いたらやってください、と言って枠を残したんです」。結局、バックさんは参加することが出来ず、川本先生が2編を担当した。川本先生は、2000年にユーラさんと「奥の細道」を訪ねる旅をして、連句アニメーションの構想をあたためてきた。そして、ユーラさんは「冬の日」で、最初に芭蕉が詠んだ「発句」のアニメーションを担当した。
彩度を抑えた画面の中で、舞い散る紅葉のなんと詩的なことか。ユーラさんは、詩人プーシキンの言葉「詩とはきれいなところからは生まれない」を見習ったと語っている。竹斎(江戸時代の人気キャラクター)の茶目っ気や、芭蕉の素朴で人間らしい動きに惹かれる。凄まじいまでの描写力と観察眼がここでも活かされている。描かれている芭蕉の、偉ぶらないが秘められた尊厳の高さは、まさにユーラさんそのものの様でもある。川本先生は、この発句を「アニメーションの作り方の極致」と表現している。
さて、2009年に飯田を訪れたユーラさんは不動滝、瑠璃寺の後、竹田練場・竹田扇之助記念国際糸操り人形館、黒田人形舞台を観覧され、川本先生の待つ川本喜八郎人形美術館に向かった。
美術館に到着したのは夕方になっていた。館内では川本先生指揮のもと展示替が行われており、仕上げとして「李白」の人形展示をユーラさんにやっていただこうということになった。突然依頼を受けたユーラさんだったが、人形をおもむろに鷲掴(わしづか)みしたかと思えば、瞬時に形を創り上げて展示台に据えた。酩酊してやっと立っている酒仙・李白が現れた。生きているようだ。「死者の書」のアニメーションに少し参加しているためか、川本人形の骨格を熟知しているのだ。
「李白」の人形をポージングする ユーリ・ノルシュテインさん(左)、川本喜八郎(右) 写真提供 南信州新聞社 (2009.10.9付南信州新聞より) |
川本先生は「僕は酒が飲めないので、飲めるユーラさんがポーズを付ける李白は全く違って面白い。これはウォッカを飲んだ李白だね。天才的。本当に素晴らしい!」とうれしそうに呟(つぶや)いた。それから3週間程経過したある日、美術館スタッフが気づくと、ガラスケースの中の李白がバランスを崩して展示台の上で転んでいたという。まるで酔っぱらいのように…ロシアの映像詩人おそるべし。
【「挑園の会」事務局】