2006年1月、「桃園の会」は飯田文化会館との共催により、人形美術館開館一年前イベントとして、「人形アニメーション映画『死者の書』鑑賞会」を開催した。この催しは当初、飯田市公民館ホールを会場として進めていたが、前売チケットがたちまち完売してしまい、急遽会場を飯田文化会館ホールに変更し、約九百人の方に鑑賞していただいた。映画を鑑賞した後、川本喜八郎監督と案内役の竹田扇之助さん(竹田扇之助記念国際糸操り人形館長)により人形芸術に関するトークが交わされた。
人形アニメーション映画「死者の書」鑑賞会にて 竹田扇之助さん(左)、川本喜八郎(右) (2006.1.27) |
竹田扇之助さんは「戦後すぐに東京を焼け出された糸操り人形師の結城孫三郎(9代目)師が、駒ケ根の舞台でやっているのを見たのがきっかけで今の道に進むわけですが、それまでは独自でやっておりました。その孫三郎師が私の人形を見て『最後の弟子に』と強く要望してくれました。当時の結城座には美しさがなくて、これはもう、自分が一生かかって美しい糸操りにしようと思ったのがそもそもの始まりなんです」
我が国唯一の伝統糸操り人形芝居である「結城座」は、座長・結城孫三郎を世襲する。いくら名手でも孫三郎を襲名することはない結城孫太郎は、1955年、江戸期に評判をとったが途絶えていた からくり人形の「竹田人形」を、河竹繁俊と徳川夢声の推挙を受けて、糸操り人形座として東京に復興し、初代座長・竹田三之助となった。結城孫太郎には二人の優れた弟子、孫昌(まごまさ)と糸城三(しきぞう)がいた。二人も竹田姓を名乗ることとなり、それぞれ扇之助、喜之助に改名した。その後、竹田人形座は1956年東京都無形文化財に指定。1970年大阪万博で「つる」を連日公演、その回数は1442回にも及んだ。長尺の糸による演技が世界中の観客を魅了した。竹田扇之助は1930年下伊那郡喬木村阿島生まれ。1965年竹田人形座の主宰を受け継ぎ、座を世界の頂点まで押し上げた。その後、座の所蔵品をすべて飯田市に寄贈した。一方、喜之助はどんな人物だったか。川本喜八郎先生は私にこう話してくれたことがある。「現代人形劇で唯一共感できる人形師は竹田喜之助さんです」また扇之助さんは次のように話してくれた。「喜之助は、伝統ものでも現代ものでも、どんな要求にも応えてくれました。彼は作っていればよかったんです。最高の道具、あらゆる材料は私が用意したんです」
竹田喜之助さん(1965年頃) ©喜之助人形劇フェスタ 市民実行委員会 |
喜之助は1923年岡山県邑久町生まれ。東京大学でも特に花形だった航空工学に学んだ。戦前は目の前の死という問題を避けることはできなかったという。終戦を迎えて気持ちが整理できないでいたとき、結城孫太郎一座の糸繰り人形を見て心惹かれ、楽屋を訪れた。そこで出会った同世代の人形遣い孫昌(扇之助)に勧められ、東京大学を卒業間際に中退して入座した。人形師としての天賦(てんぷ)の才能を見出したのも扇之助だった。公演の合間に糸城三(喜之助)が何気なく木片を彫り始めたとき、そのナイフの動きを見て瞬間的に「いける」と確信して、「彫ってみたら」と勧めた。人形遣いとしての喜之助の力量はあまり語られたことはないが、1979年「橋弁慶」の舞台を共演したときのことを扇之助さんは語る。「喜之助の研ぎ澄まされた、身震いのするような弁慶の至高の演技に、隣で牛若を遣っていた私は、ただ見とれるばかりで操るのを忘れるほどだった」この直後、喜之助はバイクで帰宅途中、交通事故に遭遇し帰らぬ人となった。(享年56歳)喜之助を失った竹田人形座はまもなくして活動を休止した。
私は、座光寺の竹田人形館収蔵庫に入る機会を得て、2600体とも言われる「喜之助人形」に圧倒された。伝統的な作品には気品や格調があり、現代ものは、独特のバランスやユーモア、豊かな表現力に溢れている。使い込まれた手板には知恵と工夫が詰め込まれているようだ。美と創造性の洪水に身体が震えた。稀代の名プロデューサー扇之助と天才人形師喜之助、二人の偉業は、その結晶が「人形」として、私たち飯田市民の手元に生き続けている。(一部敬称を略させていただきました)
この文を書いているときに竹田扇之助さんの訃報が届きました。生前、人形劇のことや人生についていろんなことを教えていただきました。心より御冥福をお祈り申し上げます。
【「桃園の会」事務局】
■竹田扇之助(本名:石鍋昌男)
1930年 下伊那郡喬木村に生まれる
1947年 9代目結城孫三郎が逝去。結城孫太郎に弟子入りし、結城孫昌となる
1955年 竹田人形座復興。竹田扇之助に改名
1965年 竹田人形座の主宰となる
1976年頃 今世紀最高の人形劇人7名に選ばれる
1990年 座光寺に「竹田練場」建設。後に飯田市に寄贈 「日本ウニマ」会長、名誉会長を歴任
2020年 11月29日 永眠