【第7回】人形芸術の巨匠と歩んだ20年2022.09.23

連載 第7回墓参り遠山 広基


(※本記事は2021年8月の記事です。)
8月23日は人形美術家・川本喜八郎先生の命日。今年は新型コロナウイルス感染症の影響で控えさせていただいたが、例年この日に、川本先生の遺骨が納められる多磨霊園を墓参している。多磨霊園には岸田国士、岸田今日子、岸田衿子、中島敦、三島由紀夫、吉川英治、徳川無声、樋口龍峡、下村観山、森田草平、といった飯田に少なからずゆかりのある方たちも眠っている。川本先生が亡くなったとき、川本家の墓は霊園の一角に単独で在り、そこに遺骨が埋葬されたが、その後、遺族である姪御さんのご判断により合葬墓地に移されている。

元・川本喜八郎さんの墓(現在は無い)
多磨霊園
元・川本喜八郎さんの墓(現在は無い)
川本喜八郎さんが眠る合葬墓地
多磨霊園
現在、川本喜八郎さんが眠る合葬墓地

川本先生の生前、私は川本家の墓参りに2回同行したことがある。たまたまアトリエにお邪魔しようと連絡申し上げたところ、先生にはすでに墓参の予定があり「一緒に行きませんか」と言ってくださった。思えば、「墓参り」は川本先生にとって重要かつ日常的な行事だ。中国・成都市の旅で、諸葛亮孔明の墓「武侯祠(ぶこうし)」を訪ねたことはごく一般的なこととしても、チェコの旅では師と仰ぐイジィ・トルンカの墓を参った。トルンカの墓はこんな感じなのかな、と思っていたとおり素敵な墓だった。川本先生が多磨霊園を墓参するときのルートは決まっていて、JR中央線・武蔵小金井駅をスタートする。多磨霊園の広さは東京ドーム27個分もあるそうで、当時の川本家の墓は霊園の北西側、武蔵小金井駅寄りにあった。駅から墓地までは約1.5キロあるが、はじめて同行する際、先生は「どうされますか、バスに乗りますか。僕はいつも歩きますが」とおっしゃったので、そのときはまだ暑い時期だったが、私はもちろん「歩きます」と答えた。

イジィ・トルンカの墓
イジィ・トルンカの墓
(チェコ・ピルゼン)

武蔵小金井の商店街は地域性が強い感じで活気があった。先生は「この商店街は生活品きりになりましたね」とにこやかに東京弁で語っていた。その頃の川本先生は極めて健脚で、「不射之射(ふしゃのしゃ)」(1988)の老師・甘蠅(かんよう)さながら、私の前を早足で歩いて行った。「(健康のために)早く歩かなきゃいけないのです」先生は千駄ヶ谷にある自宅周りもよく散歩するらしく、「『菱田春草終焉の居宅地』(代々木3丁目)を見つけた」と言って案内いただいたこともあった。

菱田春草終焉の居宅地
菱田春草終焉の居宅地
(代々木3丁目)

さて、多磨霊園の入口手前には数軒の石材店があり、先生は決まって「こがねい石材店」で、まずお茶をいただき、黄色い花とお線香を調達し、水桶を借りて墓地へ進む。墓地では箒(ほうき)などお掃除道具も用意されていた。手ぶらで来られる理由はここにあった。墓参が終わって、武蔵小金井駅への帰り道、「野川」に交差しかけたところで、「散歩しませんか」と先生。「いいですね」と私。野川は大した水量は無さそうだが、近自然工法で、河川敷を歩けるようになっている。護岸の外側は幅員2.5メートル程の側道になっており、車は進入禁止となっていた。霊園通りを離れて下流側に歩き始め、住宅地の間を縫うような快適なオアシスになっている。さらに下流側には武蔵野公園がある。初秋の夕暮れに川治いを川本先生と歩き、今後のアニメーションの構想などをお聞きした。夢のようなひと時だった。

【「桃園の会」事務局】

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