【第6回】人形芸術の巨匠と歩んだ20年2022.08.23

連載 第6回女優・岸口今日子さんを迎えて遠山 広基


第1回目の上映会「川本喜八郎の世界」は、日本の伝統に取材した「鬼」、「道成寺」、「火宅」の三部作を、千劇(現センゲキシネマズ)の地下ホールを満席とする250人に鑑賞いただき、成功裏に終わった。しかし私には、少なくともあと2本上映しなければならない、と心に決めた川本作品があった。

その作品の1本は「不射之射(ふしゃのしゃ)」(1988)。上海のアニメーションスタジオに単身で乗り込み撮り上げた川本作品である。原作は中島敦「名人伝」。弓がなくとも射落とせるという究極の弓の名人を描いた。「人形はさまざまな煩悩(ぼんのう)を断ち切った人間を表現する力を持っている筈です」と川本先生は語る。もう1本は、チェコのトルンカスタジオで撮影された「いばら姫またはねむり姫」(1990)。原作は女優・岸田今日子の同名の短編小説。母の許されざる恋を、若く幼い姫が引き継ぐという禁断の恋物語。人形のラブシーンは人間の役者以上に刺激が強いと感じた。「人形が泣き、そして死ぬ。それは人形に命があるからです」と川本先生は語る。この作品において姫の美しいドレスはすべて日本の着物や帯から集めた古布で作られている。チェコでは、「古い布を集めて使うのは師匠のイジィ・トルンカとそっくりだ」といわれたようである。チェコのアニメーションスタッフはどうしても動きを早くしてしまうが、姫の動きを「能」のような抑制された表現にしたという。

真ん中の人形は「いばら姫またはねむり姫」
第二回自主上映会(1992.9.2)
岸田今日子さん(左)、川本喜八郎さん(右)。
真ん中の人形は「いばら姫またはねむり姫」

作品中のナレーションも岸田今日子さん。今日子さんは「飯田の町に寄す」を残してくれた岸田国士の次女。戦時中、父、姉とともに一年半ほど飯田に疎開し、旧制飯田高女(現在の飯田風越高校)に通った。1992年9月、岸田今日子さんをゲストに迎え、2回目の自主上映会「川本喜八郎と人形アニメーションの世界」を開催。「不射之射」と「いばら姫またはねむり姫」の2本の作品を上映した。多くの仲間のお力添えのおかげで、飯田市公民館の観客席を埋め尽くす500人以上の方が鑑賞してくれた。岸田今日子さんからの申し入れもいただき2編の短編を朗読していただいた。夢のような華やかな舞台となり、さすが女優だと思った。イベント開催直前、岸田さんと川本先生、我々スタッフが食事の後、羽場の「吉沢・村島染織工房」(当時)にふらりと立ち寄った。工房の眼前にはなだらかに傾斜する田園の先に飯田のまちが覗(のぞ)いている。岸田さんと川本先生はこの佇(たたず)まいに惚れ込んだ。

大宮八幡宮(今田神社)にて(1992年7月22日)
羽場の「吉沢邸(吉沢・村島染織工房)」
玄関に架かる大きな梁が、岸田姉妹が疎開していた「本田家」から移設された

工房の建物は鼎上山にあった旧い本棟造りをほとんど移築したが、入口の大きな梁だけは、鼎中平にあった旧家のものを使用したとの説明だった。その鼎中平の旧家「本田家」こそ、岸田今日子さんと姉・衿子さんが疎開していた家だったのである。岸田さんは思わぬ再会に甚く感動されていた。

トークショーはお二人の掛け金いが面白かった。岸田さんは語る。「飯田は、そう、わたしがちょうど『いばら姫』の年だった頃、疎開していて、なつかしい思い出に満ちた所です。その少し前に母が死んで、父は、わたし達姉妹を、疎開というより自然の中へ解放するような気持だったようです」作品については、「どうして川本さんが『いばら姫〜』なのかというと、姫が嵐の中を、森番の男のいる小屋に一生懸命向かっていくところが撮りたかったんですって…」

川本先生は語る。「何故、この物語は人形でなければ表現出来ないか、あるいは、何故、人形を使ってこの物語を作るのか、あるいは、人形にはどんな物語が合っているのか、そういう素朴な疑間が私の人形の秘密を探り出す為の作品作りの原点なのです」

【「桃園の会」事務局】


飯田高女(現飯田風越高校)在学の頃の岸田今日子さん

「飯田高女(現飯田風越高校)在学の頃の岸田今日子さん」。写真の裏には「ひろ子さま 昭和二十一年春浅き日 おもひでに 今日子」と記されている。
【竹内文隆氏提供】

■岸田今日子 きしだきょうこ
1930年 東京都杉並区に生まれる
1944〜46年 姉・衿子とともに飯田に疎開
1946年 飯田高女(現在の飯田風越高校)卒
1949年 自由学園高等科卒
1960年 三島由紀夫演出「サロメ」に主演
1969年 アニメ「ムーミン」のムーミン役
1975年 演劇集団円を創立
2006年 死去

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