【第3回】人形芸術の巨匠と歩んだ20年2022.05.23

連載 第3回人形アニメーションの世界遠山 広基


人形アニメーションは、人形の骨格や衣装を少し動かしてはフィルムのひとコマを撮影し、また少し動かしてはひとコマという具合に連続撮影して製作する映画。一方、NHK人形劇「三国志」(1982-84)や「平家物語」(1993-95)は人形の演じ手がいて、スタジオで人形を操ってそのまま撮影する。このように人形劇と人形アニメーションでは製作工程が大きく違っている。川本喜八郎先生は、「三国志」や「平家物語」の撮影では、スタジオ横の部屋に控えて、人形美術家として人形の修理や調整に徹しているが、アニメーションの製作では、監督として脚本・演出・編集など、ほぼ全分野を指揮しまとめ上げていく。完全主義のため、アニメーション界の黒澤明と言われることもある。人形をひとコマずつ動かす作業は、苦しい態勢を取りながらも撮影が終わるまでは緊張がとけない厳しいものだが、川本先生は「これが一番楽しい時間です」と言う。

私は、子どもの頃のテレビアニメに飽き足らず、学生時代は世界のアニメーションを見漁った。アニメーションこそが総合芸術であると信じて疑わなかった。大学に入って、ウォルト・ディズニーの同世代であるチェコのイジィ・トルンカという人形アニメーションの巨匠の作品を知った。当時は映画館にオールナイト上映があって、贅沢にも、 一夜でほぼすべてのトルンカ作品を観ることができた。川本喜八郎監督作品との出会いは、1982年、渋谷ジャンジャンで行われた「パペットアニメーショウ」と称する会で観た「火宅」(1979)だった。

「火宅」(1979)©(有)川本プロダクション
「火宅」(1979)
©(有)川本プロダクション

トルンカに師事した日本人監督という期待があった。映画のヒロイン菟名日処女(うないおとめ)は、2人の男から同時に愛を告げられながらどちらも選ぶことができない。男たちは決着をつけるべく水面に浮かぶおしどりを射る勝負をするが、二人の男の腕は互角で決着はつかず、つがいのおしどりの雄だけが死んでしまう。処女(おとめ)は無意味な殺生を悲しみ、自ら命を絶つ、目的を失った男たちも命を絶つ、処女(おとめ)は地獄に落ち、死んでなお地獄の業火に苦しむ…。たった19分の作品なのに、圧倒的な美と重厚さに打ちのめされた。人形以外の表現が思いつかない。人形は決して泣きわめいたり叫んだりするわけでもなく、人形だからこそ耐えられる究極の悲しみや苦しみが表現され、至高の美しさとなって私の脳裏から離れなかった。これが私と川本喜八郎作品との最初の出会いである。1992年、飯田に川本先生をお招きし、作品上映会とトークショーを開催した。トークショーにて靴箱から人形を出して見せてくれた。30cmに満たない人形なのにアニメーション作品では画面いっぱいのクローズアップが一段と美しい。

「火宅」の人形と川本喜八郎さん
「火宅」の人形と川本喜八郎さん
(1992年2月20日)

川本先生は次のように語った。「トルンカ先生はね、日本に来たことは一度も無いんですが、日本の伝統についてはよく知っておられたんですね。そして日本の伝統を踏まえた作品を作りなさい、と言うサジェスション(示唆)をいただいたんです」「人形の表現に大事な柱というものがいくつかありますが、その中で一番大事なのが『愁嘆(しゅうたん)』なんです。つまり人間の悲しみですね。その人間の悲しみを表現するのに、人形というものは普通の生きている役者がやるよりも、もっとすごい表現力を持っているということを、人形の創造性に満ちた日本の先人たちは発見した。それが日本の人形の一番大きなことなのです」「つまり僕の先生はトルンカであり、日本の人形の先人たちであるわけです」心揺さぶる川本人形美術の神髄が、日本の伝統・人形浄瑠璃が極めた「愁嘆」にあり、そのことをチェコのイジィ・トルンカから学んだということが驚きであり新鮮でもあった。と同時に人形芸術の奥の深さを垣間見た瞬間だった。

【「桃園の会」事務局 】

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